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大岡昇平が私たちに教えてくれること

2022-01-01から1年間の記事一覧

大岡昇平『レイテ戦記』 レイテ島の戦闘の歴史は、健忘症の日米国民に、他人の土地で儲けようとする時、どういう目に遇うかを示している。それだけではなく、どんな害をその土地に及ぼすものであるかも示している。その害が結局自分の身に撥ね返って来ること…

大岡昇平『私の教養』 わかることと表現することは違う。表現するためには材料を知悉していなければならぬ。悉く知るのは不可能だとしても、出来るかぎりの知識を蒐集しなければならぬ。一つの外国語の構造も呑み込めぬ怠けた頭で、日本語の構造がわかるはず…

大岡昇平『作家の日記』 犯罪型の人間がいるように自殺型の人間というものもいるもので、ほとんど生得といってもよい。しかしそれが実行に移されるかどうかは、大抵偶然の事件の組み合わせにかかっている。新聞や週刊誌が誇大に扱わないのが望ましい。 (略…

大岡昇平『愛について』 どんなささやかな片隅の幸福も、人間の信念と努力の上に築かれるものである。現代の巨大な管理社会の組成の一人として、機械的な生活を送る者でも、人間が理性的動物である以上、社会が作った枠を越えて無限に拡がろうとする欲望と、…

大岡昇平『戦争』あとがき 「国難」「非常事態」など状況の概念化、情報操作の組織化の現状にあっては、なにか事があればひどい目に合うのはまたもやわれわれ国民ではないか。

大岡昇平『戦後四十年を問う』 核と戦争を警告する声もあります。しかし多数をたのみおごり高ぶった政府は、問答無用とばかり既成事実を作ることに専念しているように見えます。

大岡昇平『僕はなぜ文学青年になったか』 鈍才の劣等感と感傷を持っていた僕は、同情のある少年であったらしい。新聞に出た両親に棄てられた貧乏少年のために、貯金を渋谷署へ持って行ったことがあり、金王八幡のお祭りの日、一円の小遣いを全部参道の乞食に…

大岡昇平『事件』 村の様子がかわり始めたのは、終戦後、五キロ北の厚木、座間が進駐軍の基地になってからである。多くの村の若者達が、設営や清掃に狩り出されて行った。 (略) 金田町の若者達は、もはや農民とは言えなかった。田圃は親父の代までで終りだ…

大岡昇平『事件』 ペリイ・メイスンのように、決定的証人を航空機で連れて来るというような離れ業は、アメリカでも推理小説の中でだけで起ることで、むろん日本の現実にはあり得ない。自ら証拠を収集する力のない日本の弁護士は、専ら検察側の提出した証拠を…

大岡昇平『俘虜記』 それは私がこの時独りであったからである。戦争とは集団をもってする暴力行為であり、各人の行為は集団の意識によって制約乃至鼓舞される。もしこの時僚友が一人でも隣にいたら、私は私自身の生命の如何に拘らず、猶予なく撃っていたろう…

大岡昇平『実名小説の書き方』 先般僕が東京へ出た時に泊る明舟町の福田家で、偶然三島といっしょになったことがある。その旅館の女中さんには、無論人格円満の僕の方が人気がある。

大岡昇平『〔追悼II〕雑感』 三島由紀夫の文体の特徴は、その絢爛さの底にある一種の平凡さである。これはわれわれを取り巻いている外界(言葉もその中に入る。言葉はわれわれが生れた時にはすでに存在し、われわれはそれを習得する)から、無差別に取り込む…

大岡昇平『少年』 私は何者であるか、幸福だったか、不幸だったかーーこれはスタンダールが五十歳の頃自分に発した問いであるが、私は『アンリ・ブリュラールの生涯』を読む前から、この問いを何度か自分に発した。(略) 戦争中の話はもう繰り返したくない…

大岡昇平『再会』 しかし経験とは、そもそも「書く」に価するだろうか。この身で経験したからといって、私がすべてを知っているとは限らない。経験したため、却って見えなくなったことも、多々あるはずである。帰還以来日本の現実が、いかに私に見えにくいこ…

大岡昇平『記録文学について』 戦争は厳粛な事実であります。日本はもう自ら戦うことはありますまいが、それだけに国際関係の微妙な一環として、国の存立をかけなければならない我々にとって、国家組織の最高の表現である戦争について盲目であることは許され…

大岡昇平『新聞記者の実話物』 取材の対象に対する態度が、多く安直なお涙頂戴的同情に終始しているのはいかがなものであろうか。(略)現代の社会的関心の退化の一徴候として、それ自身はあまり感心すべき傾向ではない。

大岡昇平『嚙みつき帳』 彼の政策といえば、アメリカのいうなりになるということだけである。グラマンでなければロッキードを買い、自衛隊を増強して、旦那のお望みなら、太平洋水域のどこにでも「戦力」を派遣出来るよう、条約改定をやってのけようという、…

大岡昇平『「象徴」を追う現代文学』 野間宏の晦渋な反省、安部のアレゴリイ、三島の美学的自然描写などが、個物の相から本質をつかみ出す忍耐を失った部分において、安直な繰り返しになっているのは事実である。 一方批評家もこれらの作品の「象徴的」に暗…

大岡昇平『戦争』 一度大きな軍事予算を組んでしまうと、拡大した設備は使わないと損になりますから、どんどんふくれ上がっていくでしょう。二・二六事件の時、軍事予算を出ししぶった高橋蔵相が殺されたんだけど、その次の蔵相が軍部の要求をのんで予算を大…

大岡昇平『俘虜記』 私の体は強健ではなかつたが、病に対して比較的抵抗力があるのを知つてゐた。私は細心に自分の症状を観察し、療法を自分で工夫した。熱のためすぐ下痢が始まつたのを見て、消化器に無益な負担をかけないために(これがその時の私の考へで…

大岡昇平『戦争とは』 とにかく核兵器はいけません。これ、全部壊してやめてしまうというところへ、なんとかして持っていかなきゃ、(略) そんな有害な核というものをどうして捨てることができないかというと、お互いに実験を行ない、迎撃用ミサイルをどん…

大岡昇平『事件』 「最近の青少年の道徳頽廃という問題だけではないと僕は考えます。宏の行動は一般に都市近接農村の農業放棄、青少年の離村傾向と切り離しては、考えられません。父親の喜平が、宏を茅ヶ崎の工場へ働きにやったのも、田圃を手伝わすよりは、…

大岡昇平『俘虜記』 駐屯中多くの兵士が日夕点呼後の短い時間に、暗い椰子油の燈火の下で、熱心にその日の出来事や感想を綴り続けた。 私の職業は俸給生活者であるが、一方古い文学青年として、この種のナルシシスムを意識して嫌悪してゐた。私の考へでは、…

大岡昇平『少年』 自己を言語化するとは解釈するということである。

大岡昇平『常識的文学論』 こう考えて来ると、ある作品を賞めたか貶したかは、実は問題ではないので、文学を常に読者の前に現すのが、文芸時評の役目ではないのか。

大岡昇平『第二の戦後か』 どんな危機にも必ず儲ける人間はいる。政府は必ずそういう人間の味方である。

大岡昇平『「レスビアニズム」考』 私に生まれつき女性的傾向があるのは、就学以前に女になりたい、と思ったことがあり、女の子とばかり遊んでいたのだから、たしかなことである。従って私はいつも女性の味方だったつもりである。

大岡昇平『音楽による感動』 絶望は過去に固執することから生れますが、思い出によって、対象化するのは、過去から解放されることです。音楽には聴く者の思い出を正確にたどることはできないが(第一これは個人的なことです)それを喚起し、音楽の時間の中に…

大岡昇平『書物に欺かれる現代人』 我々は(文芸作品の)読後、或いは観劇の後に、何か自分の意見をいうのをためらう傾向はないか。新聞雑誌に現われた批評によって、我々の印象が確かめられた後、始めて確信をもって何かをいうのです。文芸時評、劇評の求め…

大岡昇平『幼年』 現在私は小説家という女性的職業に従事している。腕力はなく、中学に入ってから議論が好きになっただけで、けんかは嫌いである。胸毛とか筋肉を誇示する同性は嫌いである。フィリピンの山中で一人取り残された時、敵を殺すことを放棄してし…