大岡昇平bot

大岡昇平が私たちに教えてくれること

大岡昇平「野火』

 名状しがたいものが私を駆っていた。行く手に死と惨禍のほか何もないのは、すでに明らかであったが、熱帯の野の人知れぬ一隅で死に絶えるまでも、最後の息を引き取るその瞬間まで、私自身の孤独と絶望を見究めようという、暗い好奇心かも知れなかった。

文章を書くということ

大岡昇平「文章の創造」

 人が自分で書く以上、どんな文章でも創造されているということができます。小学生の綴り方から、文学者の創作に至るまで、変わりはありません。ただ、主として詩人、小説家についてだけ、「創造」という言葉が使われるのは、彼等の文章の織り出す作品の世界が、現実とは何か違ったもの、作者自身が作り出したものと考えられるからでしょう。しかし文章それ自体について言えば、書く人はみな創造しているのです。

現状を分析したうえで方針を立てなければ、ひどいことになりそうだ

大岡昇平『俘虜記』

現在の状態がどういう種類の政治的暴力の結果であるかがわかれば、おのずからそれに対処する方針も出て来るわけだ。方針なくただ習慣に従つているのは、つまり彼等が知ろうとしないからで、これもやはり専制の連続によつて彼等の得た怠惰の一種である。

大岡昇平『文学と郷土』

今日のように交通が発達してくると、今まで隔たっていた都会と地方との距離も縮まってきます。しかしここに観光というものが介在する場合、相互に正しい姿を認めあう機会が失われてしまうのではないかと私はおそれます。今日の観光客は「金をばらまいて歩く浮浪人」といわれますが、都会の人が地方に来る時は、どうしても観光的な見方になってしまう。地方の人から見ると、お金が落ちるために、安直な観光的な見方に迎合するように自分をゆがめて見せてしまう。これが一番恐しいことだと思います。

 ですから、都会と地方との結びつきというものは、もっと文化的な、相互に認識を深めるような道を、見つけていかなければならないのではないかと思います。

大岡昇平「僕はなぜ文学青年になったか」

 大正の心境小説も似たようなエゴイズムの讃歌を歌っていた。小心翼々たる文学的生活者の、日常生活の小波瀾に、大袈裟な意味を見つけて、悦に入るのが、彼等の常套手段であった。

 僕も彼等のような、文章を書いてみたいと思った。夏休みに水泳部合宿で考えた小説の筋を憶えている。愛情なく結婚させられた女が、次第に夫に愛情をおぼえるようになるという話である。十四歳の子供に、こんな小説を考えさすなんて、大正文学はなんて、悪党が揃っていたもんだ。しかし僕は罪のすべてを彼等に着せるつもりはない。僕は頭が悪く、おとなしすぎたのだ。

大岡昇平『成城だより』

 私たちは新しい生活形態を考えなければならないが、目先に捉われたる政府は、八年前に石油ショックを受けながら、情勢分析不十分、その日暮しの番頭政府に何も期待も持てず。これまたアジア的対応の一つなるか。勝手にしやがれ

大岡昇平『第二の戦後か』

こんどの危機はめいめいが勝手なことをしていては、とうてい乗り切れそうもない。 柄にない説教めいたことはいいたくないが、何らかの意味で、他人といっしょに自分も助かる、という心構えがなければ、自他ともども一層ひどいところへ落込んでしまうような気がする。