大岡昇平「野火』
名状しがたいものが私を駆っていた。行く手に死と惨禍のほか何もないのは、すでに明らかであったが、熱帯の野の人知れぬ一隅で死に絶えるまでも、最後の息を引き取るその瞬間まで、私自身の孤独と絶望を見究めようという、暗い好奇心かも知れなかった。
大岡昇平「文章の創造」
人が自分で書く以上、どんな文章でも創造されているということができます。小学生の綴り方から、文学者の創作に至るまで、変わりはありません。ただ、主として詩人、小説家についてだけ、「創造」という言葉が使われるのは、彼等の文章の織り出す作品の世界が、現実とは何か違ったもの、作者自身が作り出したものと考えられるからでしょう。しかし文章それ自体について言えば、書く人はみな創造しているのです。
大岡昇平『文学と郷土』
今日のように交通が発達してくると、今まで隔たっていた都会と地方との距離も縮まってきます。しかしここに観光というものが介在する場合、相互に正しい姿を認めあう機会が失われてしまうのではないかと私はおそれます。今日の観光客は「金をばらまいて歩く浮浪人」といわれますが、都会の人が地方に来る時は、どうしても観光的な見方になってしまう。地方の人から見ると、お金が落ちるために、安直な観光的な見方に迎合するように自分をゆがめて見せてしまう。これが一番恐しいことだと思います。
ですから、都会と地方との結びつきというものは、もっと文化的な、相互に認識を深めるような道を、見つけていかなければならないのではないかと思います。