大岡昇平「事件」
宮内辰造は少し小説などを読んでいたのかも知れない。場面の描写はなかなか堂に入ったものである。あるいは岡部検事と話しているうちに、次第に場面を小説的に作り上げて行ったのかも知れない。
供述というものは、実は小説に近いのである。事実を述べるといっても、人はしばしばその経験を小説的に記憶し、そのように物語る。小説家の広津和郎氏が松川裁判について、被告人や証人の供述から嘘を抽出することが出来たのは、こういう共通点があるからである。
大岡昇平「事件」
大抵の起訴状は切れ目なしの一文であるが、それは末尾に示される犯罪事実が、一連の状況、動機、故意のひとつの結果であることを示すためである。主語があいまいであろうとなかろうと、罪となるべき事実がそこに明らかに示されていれば、それでよいという、全然別個の原理の下に書かれた文章なのである。
大岡昇平「文章の創造」
人が自分で書く以上、どんな文章でも創造されているということができます。小学生の綴り方から、文学者の創作に至るまで、変わりはありません。ただ、主として詩人、小説家についてだけ、「創造」という言葉が使われるのは、彼等の文章の織り出す作品の世界が、現実とは何か違ったもの、作者自身が作り出したものと考えられるからでしょう。しかし文章それ自体について言えば、書く人はみな創造しているのです。
大岡昇平『文学と郷土』
今日のように交通が発達してくると、今まで隔たっていた都会と地方との距離も縮まってきます。しかしここに観光というものが介在する場合、相互に正しい姿を認めあう機会が失われてしまうのではないかと私はおそれます。今日の観光客は「金をばらまいて歩く浮浪人」といわれますが、都会の人が地方に来る時は、どうしても観光的な見方になってしまう。地方の人から見ると、お金が落ちるために、安直な観光的な見方に迎合するように自分をゆがめて見せてしまう。これが一番恐しいことだと思います。
ですから、都会と地方との結びつきというものは、もっと文化的な、相互に認識を深めるような道を、見つけていかなければならないのではないかと思います。