(司馬遼太郎、松本清張)共に「庶民的」な角度であるが、この観点からは歴史上の人物は現代人に換算されて現われる。こういう「庶民」は1930年代に沈黙して戦争に協力しただけでなく、今日同じ沈黙によってソルジェニーツィン事件、金大中事件を、権力者の欲するままに進行させた、と菊地氏は指摘する。
歴史上の人物は、その時代の条件の中に生きていなければならない、それは歴史小説というジャンルが要求するだけではなく、歴史をそのようにあるがままに捉えることを忘れることは、現代をも誤って捉えることになる。(略)
家永教科書裁判の経過に見られるように、教育の分野における歴史の書き直し、それに呼応して御用文化人によって偽史、偽伝が書き進められている現状において、極めて適切な指摘であると思われる。