大岡昇平bot

大岡昇平が私たちに教えてくれること

大岡昇平『嚙みつき帳』

 彼の政策といえば、アメリカのいうなりになるということだけである。グラマンでなければロッキードを買い、自衛隊を増強して、旦那のお望みなら、太平洋水域のどこにでも「戦力」を派遣出来るよう、条約改定をやってのけようという、断固たる番頭根性を持っているというだけである。

大岡昇平『野火』

 私が発病し、世話になるばかりで何も返すことができないのが明らかになると、はっきりと冷たいものが我々(補充兵)の間に流れた。危険が到来せずその予感だけしかない場合、内攻する自己保存の本能は、人間を必要以上にエゴイストにする。私は彼らの既に知っている私の運命を、告げに行く気がしなかった。彼らの追いつめられた人間性を刺戟するのは、むしろ気の毒である。

依存傾向のある人が増えている気がする

大岡昇平『愛について』

 どんなささやかな片隅の幸福も、人間の信念と努力の上に築かれるものである。現代の巨大な管理社会の組成の一人として、機械的な生活を送る者でも、人間が理性的動物である以上、社会が作った枠を越えて無限に拡がろうとする欲望と、それを制御する社会的制約との間に、バランスを保つには、意志を必要とする。

大岡昇平『戦争』

まあ、そんなことしてて、飲み代を翻訳で稼ぐってんで、やるんだけど、昼間勤めて、夜は二時、三時まで翻訳して、それで朝起きて出勤するってのは、これはなかなかつらかったですよ。

 それでもまあ、少しずつスタンダールを読みこんでいったわけです。スタンダールってのはフランス大革命からナポレオン戦争、王政復古、七月革命までの非常な動乱期に生きた人ですから、その書いたものの中に政治がしょっちゅう入っているわけですよ。そのスタンダールが書いていることと、フランスの当時の現実がどういう具合であったか、まあ、例えば『赤と黒』に書いてあるようなことと、当時の実際のフランスとはどういう関係になっていたか、そういう研究はあまりなかったんですよ。

 で、ぼくは大きな年表を壁にはりつけといて、いろんな本を読んだことをそれにチョチョっと書きこんで、、政治的なスタンダール伝を書こうと思ってたんです。

 文学と縁を切ったつもりでいながら、そういう作業だけはしてたんだねえ。

大岡昇平『成城だより』作家の日記1957年11月13日

 1930年代の爆撃機の発達は、やはり戦争を不可能にするだろうといわれていた。開戦後48時間以内に、交戦国の基地、工場は破壊されるということだった。しかしそんなことがちっとも起らなかったため、どんなひどい目に会ったか、我々はよく知っている。

 究極兵器という考えは、我々の希望的観測の典型的なもので、買収された軍事評論家がそれを利用するのである。

 人類が最後の破滅的ショー・ダウンへ向かっていることは間違いのないことだ。造られた兵器が使われずにすんだためしはない。労働者がこの兵器を製作することを拒否することが出来る日まで、だめである。

大岡昇平「事件」

 宮内辰造は少し小説などを読んでいたのかも知れない。場面の描写はなかなか堂に入ったものである。あるいは岡部検事と話しているうちに、次第に場面を小説的に作り上げて行ったのかも知れない。

 供述というものは、実は小説に近いのである。事実を述べるといっても、人はしばしばその経験を小説的に記憶し、そのように物語る。小説家の広津和郎氏が松川裁判について、被告人や証人の供述から嘘を抽出することが出来たのは、こういう共通点があるからである。

法律の文章が長くて複雑な理由

大岡昇平「事件」

 大抵の起訴状は切れ目なしの一文であるが、それは末尾に示される犯罪事実が、一連の状況、動機、故意のひとつの結果であることを示すためである。主語があいまいであろうとなかろうと、罪となるべき事実がそこに明らかに示されていれば、それでよいという、全然別個の原理の下に書かれた文章なのである。