当時中原の話題にはこうして巷で拾った印象や挿話が多かったが、そこには正確な観察眼と同時にどんな平凡な事実からも豊かな人間的意味を演繹する健康な論理的能力が示されていて、それは彼が時々開陳する人生と芸術に関する、混乱した思想と奇妙な対照をなしていた。
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大岡昇平『戦争』
まあ、そんなことしてて、飲み代を翻訳で稼ぐってんで、やるんだけど、昼間勤めて、夜は二時、三時まで翻訳して、それで朝起きて出勤するってのは、これはなかなかつらかったですよ。
それでもまあ、少しずつスタンダールを読みこんでいったわけです。スタンダールってのはフランス大革命からナポレオン戦争、王政復古、七月革命までの非常な動乱期に生きた人ですから、その書いたものの中に政治がしょっちゅう入っているわけですよ。そのスタンダールが書いていることと、フランスの当時の現実がどういう具合であったか、まあ、例えば『赤と黒』に書いてあるようなことと、当時の実際のフランスとはどういう関係になっていたか、そういう研究はあまりなかったんですよ。
で、ぼくは大きな年表を壁にはりつけといて、いろんな本を読んだことをそれにチョチョっと書きこんで、、政治的なスタンダール伝を書こうと思ってたんです。
文学と縁を切ったつもりでいながら、そういう作業だけはしてたんだねえ。